民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代
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発行年月 : 2020年8月
出版社 : 中央公論新社
「未熟」で「野蛮」とする評価がふさわしくないとしても、「民主主義的」との評価は妥当だろうか。民衆の暴力の意味を考える際には、支配権力に抵抗していたか否かという点だけではなく、どのような論理で抵抗していたのかという点が重要になる。新政府の政策に反対したことをもって、一揆を「進歩的」「民主主義的」と位置づけることは、「未開」「野蛮」とすることと同様に、暴力をふるった当事者の論理とかけ離れた評価になりかねない。 (p38~39)
官憲が流言を広め、軍隊が戒厳令を布き、朝鮮人を殺す。こうした公権力の直接的な関与が、多くの日本人に流言を真実だと信じさせる結果となったことは想像に難くない。 (p158)
先に述べた司法省調査の犯罪にも「強姦」「強姦殺人」「強盗強姦」が三件報告されているが、他の犯罪と同様に容疑者の姓名は不明である。朝鮮人と特定できないはずにもかかわらず、朝鮮人の犯行とされているのである。日本人男性による朝鮮人女性への性暴力が行われる一方、朝鮮人男性が日本人女性を凌辱したという流言が広まった。朝鮮人が徒党を組んで日本人を襲撃するという流言に対し、実際には日本人が自警団を組んで朝鮮人を襲撃していたことと、まったく同じ構図である。
朝鮮史研究者の金富子は、日本人男性による朝鮮人の虐殺は、「想像上の「朝鮮人レイピスト」から日本人女性を守るための日本人男性による「男らしさ」の発揮」であったとも指摘している。 (p165)
流言をもとに虐殺が行われただけではなく、虐殺(特に軍隊による虐殺)が、このように殺されるくらいだから悪いことをしたに違いないという真実味を流言に付与し、さらなる虐殺が生み出される。東京近郊で起こったのは、こうした流言と虐殺の連鎖であった。 (p186)
署内で起きた虐殺について、当時の巡査は、「その残酷さは見るに耐えなかった」と回顧している。署内にいた朝鮮人の子どもたちは並べられて、親の見る前で首をはねられた。その後、親も「はりつけにしていた」という。この巡査以外にもその場にいた複数の人が、生きている人間の腕をのこぎり・鉈で切っていてたと証言している。「朝鮮人暴動」のデマを信じてしまったからというだけでは片づけられない残虐さが、ここにはある。 (p191)
暴力という、日頃抑圧されている行動に一歩踏みだすと、人びとの「可能な幅」が急速に広がり、日常では明確に意識されていない願望や衝動が噴出する。
そうした願望や衝動は、自らの生活を脅かす権力への暴力行使となる時もあれば、被差別部落や朝鮮人への残虐行為となることもあった。 (p204)